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南翔古鎮の老街を訪ねる

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春節休み突入後の2日間はあいにく天気が悪く気温も低かったので、 家に篭ってもっぱらハイラル王国を救ったり、NHKBSの録画を観たりしていた。 3日目の今日は天気も良く、 流石にどこかに行かなければなと思い、 上海北西部、嘉定区の南翔古鎮を訪ねることにした。 南翔古鎮の最寄りは地下鉄11号線の「南翔駅」 自分の住む上海中心部エリアからは乗り換え含めて 1時間程度と気軽に来られる。 今回の目的は古典庭園の古猗园と南翔老街(歴史景観区)の2つ。 どちらも駅の西方向にあるが、まずは手前の古猗园を目指す。 駅前はショッピングモールが一体化していた。 周辺に日系企業や日本人が多いわけでもなさそうなのに 濱寿司、すき家、しゃぶしゃぶ屋など日本料理屋が多く、 開発に日本企業の資本が入っているのかもしれない。 駅から少し歩くと水濠街らしい景色が見えてきてテンションが上がる。 地下鉄がガラガラで油断していたが、この辺りから人が増え始め、 歩道も車道も混み始める。嫌な予感。 古猗园の入り口に着くと案の定の大行列であった。 今年の春節は市外への旅行ができないので、 上海の観光地は混んでいるかなと思ったが、 ド定番でもない南翔でもこれほどまでとは。 とりあえず古猗园の見学は諦めて、さらに西の老街方面へ歩く。 道中の路面は名物の小籠包屋が軒を連ねていた。 時間が昼時ということもあり、殆どの店に行列ができている。 老街の入り口に到着。 橋の向こうの人の多さにたじろぎつつも突入してみることにする。 橋から眺めた水濠。 今日見た中で一番穏やかな景色。 橋を渡ると人の奔流に飲み込まれる。 それと同時に臭豆腐や羊串のスパイス等の匂いが鼻をつく。 老街の中でも飲食店が立ち並ぶこの通りが一番人通りが多いようだ。 飲食店は名物の小籠包や羊肉白切もあるものの、 鲁肉饭や炸鸡排、麻辣香锅など何でもアリという感じであった。 しばらく人に揉まれながら一本道を進むと開けた場所に出て、 ようやく落ち着くことができた。 広場には仏塔を模した石塔が1対安置されていた。 このイシツブテみたいな小籠包が老街のイメージキャラクターらしい。 なぜ絆創膏をしているのだろうか。汁が漏れはしないか。 広場の近くに南翔老街の歴史史料館があったので入ってみることにした。 南翔老街の歴史や伝統産業・文化が資料やジオラマで展示されており、 無料に...

D.カーネギー著、山口博訳「人を動かす」創元社(1937年)を読んで

先月の読書記録はブログの開設タイミングの関係もあり、 1か月分をまとめて1記事にしたが、 どうしても文量が多くなってしまうため、 今月からは例外を除き1冊1記事とすることにした。   ・ D.カーネギー著、山口博訳「人を動かす」創元社(1937年)  人間関係の原則をまとめた自己啓発書の古典。   父親が人生に影響を受けた本として、 カーネギーの文庫3冊セットを譲ってくれたものを、 親不孝者なので長年本棚の肥やしにしていたが、 上海まで持ってきてようやく手を付けたのである。   思えば、自己啓発本を自分では買ったことが無い。 長いこと食指が動かなかったのもそのせいだろうか。   この本にまとめられている人間関係の原則は 大まかには以下の2点に集約できると理解した。  1点目は「相手の承認欲求を満たし、重要感を与えること」である。   一昔前に「鏡の法則」というのが流行ったが、近いかもしれない。 人は誰でも自分のことを大事に扱う人間を無下にはできないものである。 協力的な態度を引き出すためには、自ら協力的な態度を示さなくてはならない。   2点目は言ってしまえば1点目の裏返しでしかないのだが、 「自分の承認欲求を抑え、コントロールする」ことである。   反射的に相手の間違えを正す、意見に反論するというのは、 どれだけ自分に理があっても相手の面子を傷つけ、 反感を買い、物事をややこしくするばかりである。 この中でいうと自分は圧倒的に2点目ができていない。 ディティールに拘って相手の些細な間違いを訂正しようとしてしまうし、 短気なので何か言われれば、100倍にして返してしまいたくなる。   そして、これはこの本を譲ってくれた父親にしてもそうである。   最近は年を取っていくらか丸くなってきたが、 自分が今までに出会った中で一番短気な人間は誰かと聞かれれば、 迷わずに「私の父親です」と答えるくらいの瞬間湯沸かし器であるし、 人の話を遮って話し続ける様は独演会のようである。   息子に勧めるくらいであるから、 この本に相当な感銘を受けたはずだが、 少なくとも日常で接してきて感じるところでは 生来の気質を抑え込むには至らなかったらしい。 読書でインプットした内容...

2021年1月の読書記録

  昨年は一時帰国中で本が容易に手に入ったこと、 在宅勤務で時間が有効に使えたことから、 上海赴任後に遠ざかっていた読書習慣を取り戻すことができた。 去年の秋に上海に戻ってきたため、 今は日本から持ってきた本と電子書籍で買える本しか読めないが、 元旦には週1冊ペース計算で、年間52冊以上を読む目標を立てた。 先月は通勤時間や昼休みを使ってうまく読書時間を確保できたと思う。 1月は以下の6冊の本を読んだ。簡単に感想を書いていこうと思う。 ・吉野源三郎「君たちはどう生きるか」岩波文庫(1937年) 旧制中学2年生のコペル君が様々な出来事を経て精神的に成長していく様と、 その話を聞いた叔父さんが将来のコペル君に向けて書き綴ったノートの記述 という体での補完が繰り返されながら物語が進行していく。 作中のコペル君は自分が広い世の中の一存在であることを 自覚するに始まり、 人間の生活は見ず知らずの無数の他者との関わりに支えられていること、 自分自身で自己の行動を決定する力があることが人間の強みであること を自身の経験とおじさんの助言から学んでいく。 単に倫理・道徳を説くのではなく、 どういった社会科学的な認識の中で人は生きていくべきかという 視座を与えてくれることが 80年たった今でもこの本が読まれている 理由ではないかと思う。 ・魯迅著、竹内好訳「阿Q正伝・狂人日記他十二篇(吶喊)」岩波文庫(1922年) 魯迅は医学の西洋化によって中国を近代化する事を志し、 仙台の医学校に留学していたが、 授業の合間に 日露戦争下でロシア軍のスパイと疑われた中国人が 日本軍に処刑される瞬間のスライド写真を見たことで、 中国の革新に必要なのは肉体の健全化=西洋医学ではなく、 精神の健全化=文学であると悟る。 途中、文学の道を挫折しかけるなど、紆余曲折はあったものの、 こうした経緯で書かれたのが魯迅の処女短編集「吶喊」である。 上記の経緯は本書の自序に魯迅自らが記しているものであるが、 これを踏まえて本書の短編を読むと、 作品の根底に無知蒙昧な民衆に対する 啓蒙の念が 込められていることが理解できる。 また作中での中医学や迷信的な民間療法に対する描写からは、 中医学によって父の病気が治らなかったばかりか、 高価な漢方薬代のせいで 家計が傾いた 魯迅の私怨が強く表れていると感じた。 ...